アウトインドア

今日も天気が良い、空気も美味しいし、心地よい風が吹いている。なんだか生きてるんだなってふと思ったりする。そんなこと思いながら、ベンチに座って、普段、自分が家に篭ってる時でも、知らない誰かが活動してて、時間は平等に動いてるんだと実感する。インドアな生活は好きだけど、やっぱりアウトドアも好きかもなぁと、1人で思っている。ゆーて、たぶんアウトドア派な気もする。別に、人と会うことはめんどくさくないし、むしろ誘ってもらえると嬉しいと思うからだ。会話しながら色んな場所に行くのも悪くない。"くしゅん"と口内にくしゃみが響き渡る。すこし遠くに座っている社会人が、マスクをしている様子から見ると、彼は風邪を引いているようだ。"お大事にしてください"と直接言ったら、どんな顔をされるのだろうか。見ず知らずの人に心配されるのは、やはり嫌だろうか。でも、自分を気遣ってくれているのだから喜んで、"ありがとうございます、だんだん暖かくなってきましたね"と返事するのが正解なのだろうか。それは分からない。ただ、自分を心配してくれる人が"いる"ってことは、本当に有難いことなんだなって思うんだ。でも、そんな大切なことも、目の前の"不安や"恐怖"が大きくなると見えなくなってしまう。僕なんかいつもそうだ。

 

It is only with the heart that one can see rightly,
what is essential is invisible to the eye.

 

これは、サン=テグジュペリ 星の王子様 から言葉を引用してきた。意味はこうだ。

 

 

"心で見なくちゃ、ものごとはよく見えない。
かんじんなことは、目に見えないんだ"

 

こんな当たり前なことさえ、僕らは忘れてしまい、大切なことが見えなくなってしまう。生きるって本当に難しいんだなって、ふと思うんだ。"何が正しくて、何が間違ってるか"なんか決まっていない。人それぞれ、生きてきた時間の中で、"何が正しくて、何が間違ってるか"といった価値観ができる。約20年の時間を生きてきたなら、その時間の中で、1人1人が正しいと思った価値観を基準にしていく。また途中で、他人の意見に耳を傾けながら見方や考え方を変えていく。何も難しいことじゃない。でも、その価値観が時にはぶつかり合うし、意図せず伝わってしまうこともある。人って"感情"があるんだ。酷いことを言われたら傷つくし、優しくされたら、嬉しくなる。20歳の100人が存在するならば、1人1人の時間を合わせたら2000年の時間ある。だとすれば、いろんな価値観があって当然なんだ。現実は、もっともっとたくさんの人がいる。その分だけ、"いろんな価値観"があって当然なのかもしれない。だからこそ、"正しさと間違い"の中で、新たな答えが生まれればいいと思うんだ。電車で寝てるあの人も、疲れてそうなあの人の中にも、見えない大切なものがあるのかもね。