ツイッターを辞める理由

急な発表です。

 

 

いつも冗談を言ってるのですが、今回はマジです。

 

 

 

辞める理由はいたって簡単で、勉強の時間を確保するためです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本当に皆さんありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これからは、荒野行動に集中します。

 

 

 

 

 

 

 

 

あ、でもやっぱり、ツイッターやめるのやーめた!!!!w

 

 

 

 

荒野行動してきまーす!!!w

 

 

ふと想って

こんにちわ。久しぶりに記事を書く気分になったので書こうと思います。基本的にエッセイなので、あまり面白くもない内容ですが暇だったら読んで下さい。

さて、今日でいよいよ4月ですね。多くの方々が新しい生活を迎えようとしてます。人によっては、ワクワクしてる人も多いでしょう。中には真逆の方もたくさんいると思います。突然ですが、人生この先、本当に幸せになれることなんてあるんでしょうか。私たちは幸せになれるんでしょうか?幸せだと思っていたら、突然大事なものを失ってしまったりすることも多いと思います。むしろ不幸なことばっかりと、なんで私ばっかり、、、そんな風に思う方も多いんじゃないでしょうか。本当ですよ。なんでこんなに辛いの、もう逃げたい、やめたい、そんな風に思ってませんか?僕も正直、人生にはうんざりしてます。根性論で語られても何も感じません。

 

"人生は一度しかない、

             後悔しないように生きろ"

 

こんな言葉、一度は聞いたことあるんじゃないでしょうか?

誰もが最初の頃は、逃げちゃダメだ…。ここで逃げたら、一生負けたまま。みんなを見返してやる、、、そんな風に思っていませんでしたか。そうです。誰も逃げ道なんか教えてくれないんです。逃げる事は悪いことだと教えられてきた気がします。本当にそうでしょうか?逃げないことが正しいんでしょうか。僕たちは思った以上に人の言葉を鵜呑みにしてしまうのかもしれません。

まだ10年、20年しか生きてないのに"死にたい、人生が辛い…"と思ってる若者がたくさんいるんじゃないでしょうか。僕もその1人かもしれません。これって正しいんでしょうか。もちろん、努力しなきゃ得られないものがあります。それはどうしても得なきゃいけないものですか?

本当にそれで人生が180度変わりますか?そんなことは誰にもわかりません。良い方に転ぶか悪い方に転ぶかは全て自分の捉え方次第なんです。だからこそ、今一度ゆっくりと心身共に休め、考えることは大事です。誰よりも努力することが必ずしも正しいとは限りません。矛盾してますか?この資本主義社会では誰よりも努力すれば、どんな状況であれ自分が望むような地位が手に入るかもしれません。でも、本当にそれが本当に大切なものなのか。どんな手段を使ってでも、喉から手が出るほどのものなのか考えなければなりません。

私たちは思ってる以上に常識に縛られています。世間一般の当たり前を疑うことなく受け入れてます。それによって悩んでる人も沢山います。本当に当たり前とは、普通とは何なんでしょうか。僕はいつも考えています。こんなことを考えるのは少しは苦労してきたからかもしれません。ただ、自分より苦労してる人なんか沢山いるし、思ってる以上に目に見えないものです。自分の目に写ってるのが全てで、当たり前かのように写ります。私たちは全く本質が見えていないのかもしれません。

僕自身も世間の常識に縛られていたせいで、大事なものを失ってました。この歪んだ価値観を矯正していくのはとても大変なことです。このブログを読む方であれば、学歴を手に入れようと頑張る方、純粋な学問を学ぶために勉強をしている方、ただ単に努力した証拠が欲しい方、沢山いると思います。その理由は人それぞれですし、その理由さえ歩んできた道が違ければ、変わるのは当たり前です。述べてきたように、一人一人に"当たり前"があります。"努力するのは当たり前' "女性に優しくするのは当たり前" "やられたらやり返すのは当たり前" "優しくされたら優しくするのは当たり前" 当たり前は沢山あります。まさに"当たり前" とは "普通"と思われていることですよね。 この無言の圧力を感じさせる言葉はとても疑う余地もなく、僕たちの価値観を侵してきます。じゃあ、何が正しいんでしょうか。僕にはわかりません。最初に言った幸せになるための答えもわかりません。 金があるのが幸せ? 結婚するのが幸せ? 好きなことをできるのが幸せ? あなたにとって幸せって何でしょうか?

それは世間の人々が押し付けた"普通"なのではないでしょうか?そんな風にふと想ったわけです。と、まぁ色々考えましたが僕にはやっぱり答えが見つからないなぁ。そもそも答えってあるのかなぁ。みなさんはどう思いますか。そんなこと知ったこっちゃないってね。とりあえず考えてたことは文章にまとめられた気がします。こんな拙い文章を読んでくれた方はありがとうございます。また、時間あれば書きたいなと思います。

 

アウトインドア

今日も天気が良い、空気も美味しいし、心地よい風が吹いている。なんだか生きてるんだなってふと思ったりする。そんなこと思いながら、ベンチに座って、普段、自分が家に篭ってる時でも、知らない誰かが活動してて、時間は平等に動いてるんだと実感する。インドアな生活は好きだけど、やっぱりアウトドアも好きかもなぁと、1人で思っている。ゆーて、たぶんアウトドア派な気もする。別に、人と会うことはめんどくさくないし、むしろ誘ってもらえると嬉しいと思うからだ。会話しながら色んな場所に行くのも悪くない。"くしゅん"と口内にくしゃみが響き渡る。すこし遠くに座っている社会人が、マスクをしている様子から見ると、彼は風邪を引いているようだ。"お大事にしてください"と直接言ったら、どんな顔をされるのだろうか。見ず知らずの人に心配されるのは、やはり嫌だろうか。でも、自分を気遣ってくれているのだから喜んで、"ありがとうございます、だんだん暖かくなってきましたね"と返事するのが正解なのだろうか。それは分からない。ただ、自分を心配してくれる人が"いる"ってことは、本当に有難いことなんだなって思うんだ。でも、そんな大切なことも、目の前の"不安や"恐怖"が大きくなると見えなくなってしまう。僕なんかいつもそうだ。

 

It is only with the heart that one can see rightly,
what is essential is invisible to the eye.

 

これは、サン=テグジュペリ 星の王子様 から言葉を引用してきた。意味はこうだ。

 

 

"心で見なくちゃ、ものごとはよく見えない。
かんじんなことは、目に見えないんだ"

 

こんな当たり前なことさえ、僕らは忘れてしまい、大切なことが見えなくなってしまう。生きるって本当に難しいんだなって、ふと思うんだ。"何が正しくて、何が間違ってるか"なんか決まっていない。人それぞれ、生きてきた時間の中で、"何が正しくて、何が間違ってるか"といった価値観ができる。約20年の時間を生きてきたなら、その時間の中で、1人1人が正しいと思った価値観を基準にしていく。また途中で、他人の意見に耳を傾けながら見方や考え方を変えていく。何も難しいことじゃない。でも、その価値観が時にはぶつかり合うし、意図せず伝わってしまうこともある。人って"感情"があるんだ。酷いことを言われたら傷つくし、優しくされたら、嬉しくなる。20歳の100人が存在するならば、1人1人の時間を合わせたら2000年の時間ある。だとすれば、いろんな価値観があって当然なんだ。現実は、もっともっとたくさんの人がいる。その分だけ、"いろんな価値観"があって当然なのかもしれない。だからこそ、"正しさと間違い"の中で、新たな答えが生まれればいいと思うんだ。電車で寝てるあの人も、疲れてそうなあの人の中にも、見えない大切なものがあるのかもね。

 

単位

センチメンタル。違う。センチメートル。つまりcm。ぼくは何を言ってるのだろうか。自分でも分からない。例えば、あなたは生まれてから今日まで何センチメートル歩いたことがありますか?という質問を受けたら、なんて答えるだろうか。ぼくは直感的に150万㎝と答える。これはメートルに直すと15000メートルだ。15000メートルは、kmに直すと15km。つまり、ぼくは15kmしか走ったことがないなんて言わせない。ありえない。直感とはこんなにあてにならないものなのか。こんな話はさておき、単位とは、20代に言わせれば、"単位"意外の何者でもない。"は?"と思った方と、"そうだよな"と思った人の2通りに別れるだろう。答えを言おう。答えは、"単位"だ。なぜ、同じこと言ってるんだと怒った方は、この先を読み進めてはいけない。だって、"単位"は"単位"以外の何者でもないからだ。ふざけるな。もう読まない。分かった。答えを言おう。"TANI"だ。許してください。つまり、今日は大学の"単位"が発表される日だ。ぼくは今年から大学4年生。言いたいことは、分かるはずだ。この日は大学生にとって、今後の人生を左右する日でもある。Christmas Eveよりも大事な日だ。そんなわけないだろう。Christmas Eveの方が大事な日に決まっている。というのも、クリスマスがぼくは昔から好きだ。サンタさんはずっと信じているタイプの人間である。え、20歳にもなって信じてるの?と煽られる覚悟は出来ている。ほれ、煽ればいい。ぼくは、自分の信念を貫く。そんな妙なことを思いながら、書いているこのブログの存在意義とはなんだろうか。ツイッターでは、ぼくはドラえもんと化している。語尾に"どら"をつけるのは当たり前。どんくらい当たり前かというと、ベランダからパラシュートで降りぐらい当たり前だ。何を言ってるんだ。と思った方と、"これはもしや…"と思った方がまた出て来るだろう。前者の方は、出直しなさい。このブログは、あなたの時間を奪うタイムフライヤーと化す。後者の方も、出直しなさい。"荒野行動"とかいうゲームを思いついた時点で"ゲームオーバー"です。じゃあ何んだよ。と突っかかるのはやめていただきたい。正解は"答えはない"だ。答えをあるという前提で、この話を読んではいけない。常に疑いの目を持って読んで欲しいんだ。そうして、また"荒野行動"のアプリをタップするそんな夜も悪くない。あぁ、ゲームって素晴らしい。ありがとう、ゲーム。さようなら、ゲーム。

水たまり

(ザッー…)と外から雨の音が聞こえてくる。久しぶりの雨のようだ。ここ最近は、連日で降っている。こんな日は、なんかしょんぼりとした気分になるが、落ち着いてその音に耳を傾けると悪くもないのだ。むしろ、心地良いかもしれない。今日は、ひどい夢を見た。悪夢と言えるほどではないが、二度寝させるには十分インパクトがあり、起きたのは昼頃。ここ最近は、生活習慣は崩壊している。むしろ、今しか遊べないのだから、とことん遊べばいいと開き直ってきたのだ。というより、話せる友達ができたので、その影響が大きいのかもしれない。おかげで春休みは想像していたより充実している。もし、受験が成功したなら、免許を取ったり、高校時代の友達と積極的に連絡を取ったり、母校に顔を出したりもしていたかもしれない。しかし、そんな気にはなれず、ずっと家にいることが多い。いわゆる、引きこもりってやつだ。"引きこもり"って言うと悪い印象を与えるが、別に名目上は、大学の春休み期間なので何をしても自由だ。勉強してもよし。友達と遊んでもよし。恋愛をしてもよし。旅に出かけるのもよし。そう、自由なのだ。本当に時間が経つのが早くて正直怖い。本当に今年やっていけるか不安だ。それはやっぱり、気付かずうちに周りと比べてしまうからだろう。僕は自分がやりたいことをやって後悔するならいいと思ってるが、いざ経験すると、そんな余裕すらなくなる。偽善で言ってたのかと過去の自分に問いかけたくなる。最近は、本当に辛いことも多い。たまに夜に、1人でヒソヒソ泣くことがある。別に何かひどいことをされたからではない。だからと言って、何故、泣いてるのか聞かれても、なんて言えばいいのか分からないんだ。悩みはいつだって自分の中に抑え込んだままにしている。そんな持論を掲げながら何とか生きている。とにかく、人に嫌われないように、常に相手側に立って考える癖もあるし、心は広い方だと自負してるが、それが時に仇となる。友達ができても、結局いつかは一人なってしまうんじゃないかと思うと、とても辛くなる。普通の人生を歩みたかった。例えば、普通に就活していれば幸せだったのか?とか考えたりもするが、答えは出ない。いや、答えはないのだ。そもそも普通とは何なのか。この答えをまだ僕は探している。いつか見つかればいいな。その答えが見つかるのは、宝くじが当たるのと同じ確率かもしれない。あぁ、今日も夜更かしだ。寝よう。あ、その前にtwitter覗かなきゃ。そうしてまた眠りつけなくなるエンドレスゲーム。もしかしたら、人生って…エン…いや、なんでもない。寝よう。おやすみなさい"今日"。また会おうね"今日"。

ブログ

とうとう待ちに待ったブログが完成した。あとはこれを楽しみに待ってる後輩たちに公開するだけだ。こんな風に、思いながら四六時中考える管理人の1人。すなわち、ななしくん。このブログの発案は、お互い同時に思いついたのだ。こんな奇跡があるだろうか。時を経て、あるきっかけでブログ作ろうぜと2人で始め、やっとここまできたのである。実際、実行に移したのは彼であり、後輩の為に本当に頑張っていた。僕は、ブログの裏方作業で2月後半からhtmlやらcssなどを勉強し始めるが意味がわからなすぎて泣いた。1から作るにはとてつもない時間がかかることも理解し、出来る限り様々なサイトを参考にしながら作ることができたのである。この作業のしんどいところは、一度わからないと2〜3時間止まってしまうことである。初心者の僕には大変すぎたのだ。それでも、2人でやると決めた限りは最後まで頑張らなければならないと思い、遅い時間にも調べることがあった。一方、ななしくんは、身近にいる編入生にコンタクトを取りながら、最初から最後まで手を抜くことなく神経を張りながら管理していた。本当に、彼はすごい。実際、彼が動かなければこのブログはできなかっただろう。本当に彼と、このような経験を一緒にすることができて嬉しいし、感謝している。まだ、改善されていない点は多く残っているが、勉強しながら地道に改善していきたいと思う。途中で、ばーへん(コードネーム)も加わり、3人で管理しながらここまで頑張ってこれた。彼女の発案や修正力は僕には無いものがあり、リスペクトするものがある。本当に、0から1を作るのが大変と言うがその通りである。それを作ったのは紛れもなく彼だからだ。僕以外の2人からは学ぶことが沢山ある。本当に今日の公開まで無事辿り着けて良かった。本当に嬉しいんだ。本当に2人には、僕のメンタルな部分でも支えてくれたことが多々あり、申し訳ない気持ちも沢山ある。そして、実際にブログに記事を書いてくれた人たちには本当に感謝している。報酬もなく善意で良くここまで沢山の人が協力してくれたと思う。本当にこの世界は素晴らしいのかもしれない。こんな世界でだって、生み出せるものがあるんだ。そう思えた1日だったかもしれない。これはエッセイである。ここに書いたことは事実であり、フィクションでないことは僕が保障しよう。そして、この"ほしょう"って文字は、沢山書き方あって、使った漢字が適切かたまに迷うことがある。そんなことを書いていたらもう次の日になっている。あぁ、僕は、時間は止まらないという事実に、少しショックを受けている。止まればいいのに。そうして、時間は止まった。この文章は動かない。だって止まったままなんだから。

幸福

朝起きると、カーテンから暖かい光が差し込んでいる。顔を洗って急いで家を出る支度をしながら、テレビのニュースに目をやる。気づいたら予定の時間を過ぎており慌てて家から出るのだ。すると、心地よい風と共に暖かい光が身体を包む。この瞬間が1番幸せだと感じるんだ。だから、春が1番好きなのかもしれない。でも、春が終わってしまえば孤独が待っている。気楽に会える友達も近くにいない。予備校に通い続ける日々が浮かぶ。多分ずっとこんな感じで生きてくんだろう。そんな気がする。でも別にいいんだよ。人なりの人生送れなくてもいいんだ。そんな中で、僕ができることをまっとうするしかない。という、凄くネガティヴなツイートをすることによって、不幸な自分語りを意図的にする。つまり、印象操作だ。これによって僕は…とか意味わからない文面を書いてみた。そういえば、僕は元々は建築学科を目指していたんだ。家を見るのが好きで、友達の家に遊び行くときは良くあちこち部屋を覗いてしまって怒られたこともある。(これは、性癖に近い現象だと自負している⇦ただの迷惑である)

しかし、高3まで勉強に怠惰を見出してきた僕は、物理や数学等の科目を半年で間に合わせる自信もなく、夏に文転したんだ。別に、バスケットボールが好きで、それに全力投球できたから後悔はない。いや、嘘である。後悔しかないのだ。経済編入でも、数学ができず、よく友達に助けてもらった。f(x)=〜のカッコの中にあるxの意味もわからなかったレベルだ。より詳細に言えば、忘れすぎていたのである。そんな僕が、予備校に通わずして受かるのは至難のレベルだった。別に編入を全力で頑張れたことについては後悔はない。むしろ良かった。この経験を通して、たくさん大切なことを学ぶことができた。自分より頭がいい人達と話すことができて、勉強をサボってきた時間はそう簡単に取り戻せないことにも気づけたんだから。勉強が全てじゃないのはもちろんだ。学歴に固執しすぎて、不幸になる例はいくつもあるだろう。しかし、そのような向上心はすごく大事だと思う。僕は、公務員を目指すことにした。第1志望は、"都庁"だ。実際、初めて友達に連れてってもらったときは感動したのを覚えている。もう一度編入するか、大学院を目指すか考えまくり、それが回り回って、今は公務員を目指すことにしたが、これで良かった気がする。僕以外の友達は、みんな受かっててすごいと素直に思う。自分はどこも受からず、悲観的にもなるが、自分を馬鹿にするような人もおらず、世界は自分が思ってるよりは優しくできているのかもしれない。自分と関わってくれる人達全てにお礼が言いたいぐらいだ。本当にありがとう。そしておやすみなさい。また明日。