幸福

朝起きると、カーテンから暖かい光が差し込んでいる。顔を洗って急いで家を出る支度をしながら、テレビのニュースに目をやる。気づいたら予定の時間を過ぎており慌てて家から出るのだ。すると、心地よい風と共に暖かい光が身体を包む。この瞬間が1番幸せだと感じるんだ。だから、春が1番好きなのかもしれない。でも、春が終わってしまえば孤独が待っている。気楽に会える友達も近くにいない。予備校に通い続ける日々が浮かぶ。多分ずっとこんな感じで生きてくんだろう。そんな気がする。でも別にいいんだよ。人なりの人生送れなくてもいいんだ。そんな中で、僕ができることをまっとうするしかない。という、凄くネガティヴなツイートをすることによって、不幸な自分語りを意図的にする。つまり、印象操作だ。これによって僕は…とか意味わからない文面を書いてみた。そういえば、僕は元々は建築学科を目指していたんだ。家を見るのが好きで、友達の家に遊び行くときは良くあちこち部屋を覗いてしまって怒られたこともある。(これは、性癖に近い現象だと自負している⇦ただの迷惑である)

しかし、高3まで勉強に怠惰を見出してきた僕は、物理や数学等の科目を半年で間に合わせる自信もなく、夏に文転したんだ。別に、バスケットボールが好きで、それに全力投球できたから後悔はない。いや、嘘である。後悔しかないのだ。経済編入でも、数学ができず、よく友達に助けてもらった。f(x)=〜のカッコの中にあるxの意味もわからなかったレベルだ。より詳細に言えば、忘れすぎていたのである。そんな僕が、予備校に通わずして受かるのは至難のレベルだった。別に編入を全力で頑張れたことについては後悔はない。むしろ良かった。この経験を通して、たくさん大切なことを学ぶことができた。自分より頭がいい人達と話すことができて、勉強をサボってきた時間はそう簡単に取り戻せないことにも気づけたんだから。勉強が全てじゃないのはもちろんだ。学歴に固執しすぎて、不幸になる例はいくつもあるだろう。しかし、そのような向上心はすごく大事だと思う。僕は、公務員を目指すことにした。第1志望は、"都庁"だ。実際、初めて友達に連れてってもらったときは感動したのを覚えている。もう一度編入するか、大学院を目指すか考えまくり、それが回り回って、今は公務員を目指すことにしたが、これで良かった気がする。僕以外の友達は、みんな受かっててすごいと素直に思う。自分はどこも受からず、悲観的にもなるが、自分を馬鹿にするような人もおらず、世界は自分が思ってるよりは優しくできているのかもしれない。自分と関わってくれる人達全てにお礼が言いたいぐらいだ。本当にありがとう。そしておやすみなさい。また明日。